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【佐野 極:さの たかし】
株式会社シミックエムピーエスエス 代表取締役。京都大学工学部卒業。三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)にて4代の頭取に仕え、2005年、Jリーグのサガンドリームズ(サガン鳥栖)取締役副社長に就任。クラブの再建と地域の活性化に尽力。2008年より現職。趣味はモータースポーツ。A級ライセンス保有。

【シミックグループ】
シミックグループは「より良い薬をより早く患者のもとへ」を基本方針に、医薬品開発に関連する総合サービスを提供するPVC(ファーマシューティカル・バリュー・クリエイター)です。
※株式会社シミックエムピーエスエスは、シミックグループのCSOカンパニーです。
【シミック株式会社/東証一部上場】
本社:東京都品川区西五反田7-10-4
設立:1985年
資本金:30億8,775万円(2009.9現在)
売上(連結)287億8,400万円/
営業利益(連結)25億1,400万円
代表取締役会長兼社長:中村和男
代表取締役:中村宣雄
従業員数:2,759名(連結決算子会社含む/2009.9現在)

【インタビュアー:糸川 俊】
株式会社インテグリティ 代表取締役
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株式会社シミックエムピーエスエス(以下シミックMPSS)の佐野 極 社長。はじめてお会いした時から「不思議を感じる」ところがとても多く、どうしてもインタビューしたい社長のお一人でした。今回は「佐野社長・不思議発見」をするべく、相当プライベートな事まで突っ込んでお聞きしました。
小学校の卒業アルバムに書いていた「将来の夢はエンジニア」
佐野:父も理系でしたし、祖父が北九州に住んでいた事もあり、あの街の風景に憧れていました。当時は「鉄は国家なり」。小学校の授業で日本の鉄鋼業や造船業の話を聴いて、それがずっと頭にありました。高校も理系、大学も金属系学科に憧れて、京都大学に入りました。
けれど下宿して一人暮らし始めたら、羽目を外してしまいまして・・・。とにかく勉強しないで、ずっと自動車部でポンコツ車を直して山岳ラリー。これがもう楽しくて(笑)。結局、劣等生になり、大学院入試もあと少しのところでアウト。家の事情もあったので、某建設会社にプラントエンジニアとして学校推薦をもらい、そこに行くつもりでした。
糸川:それが何故、銀行に?
佐野:たまたまその自動車部出身で銀行に行った先輩に色々相談していたところ、「飯食いに来い」と言われましてね。行ったら、リクルーターがドドッと出てきまして(笑)。改めて会社訪問に行ったらそこで完全に押さえ込まれ、「お前はどうみても工学部じゃない、スペシャリストじゃなくてゼネラリストになれ。普通の銀行員として育ててやる。」と言われました。そんな経緯から推薦を断って銀行に入ったんです。当時はまだ金融工学とかサブプライムローンとか流行る前ですから、工学部の採用は本当に特殊な例でした。
糸川:なるほど。
佐野:おそらくは昭和55年に日本の銀行に入った全ての同期の中で、僕のキャリアは珍しいですよ。どこの銀行でもこんな奴いないです。頭取4代の間ずっと本部勤務でした。そのうち3人の直接秘書。だから、バブル絶頂期の銀行から、竹中金融行政改革。その時の役員やOBの色々な姿を全部見てきました。実質的に私の入った銀行は消滅したわけですが、偉い人たちはみんな他人事。そこで変に男気を出しまして「僕が責任をとって辞めよう」って気になったんです。丁度その時、銀行の秘書時代に知り合ったベンチャー経営者から「役員で来ないか、九州に行かないか?」という話がきましてね。Jリーグライセンス剥奪の危機に立たされたサガン鳥栖の立て直しでした。「スポーツクラブの経営って、自分の残りの人生ではやろうと思ってもやれないな。」って思って。
糸川:スポーツクラブは人気稼業みたいなもの。事業としてやっていくには、難しさがありますよね。
佐野:確かに、そういう意味では難しかった。ただ、私に声をかけたオーナーが言っていたのは「単にサッカーチームを買ったんじゃなくて、スポーツ選手のセカンドキャリアを考える様なビジネスとして捉えたい。それが出来れば、プロスポーツがもっと日本に根付くはずだ」という事でした。Jリーガーと言うのは、平均26歳で戦力外通告を受けます。その後は、JFLや地域リーグに行ったりして選手は続けるんですけど、ゴンやカズみたいな人は極々特殊なんですね。
2005年8月―。鳥栖の駅に降り立った時、僕は正直に言って、甘く考えてました。
佐野:九州の3年間は、僕のビジネスマンとしてのキャリアとしては、ものすごい収穫。当時は銀行も見放していて、オペレーションの確立には3年かかりました。シーズン開幕直前まで揉めに揉めて、ギリギリで営業譲渡を受けて、本当に何も無い。いわゆる帳簿もなく、残っているのはパソコンに打ち込んだ間違いだらけのデータと通帳だけ。まるで古墳の壁画の再生ですよ。従業員も地元のサッカー好きで来てる人ばかりで「経営」という発想は乏しい感じです。契約期間の3年間は資金繰りとの戦いでした。強化本部長もGMもいませんし、選手の契約更改も自分でやるんです。スポンサー営業も、行政への交渉も自分で行く。時には試合開始前のロープ張りからチケットのもぎりから看板の運び出しから、何でもやりました。銀行から出向した会社ならこんなことないんです(笑)。僕が出たあと、4期目でようやく初めて黒字になったんです。
糸川:大変だったでしょうが、確かに貴重なご経験ですね。
佐野:ええ、それをやってシミックMPSSに来ましたから、何が起きても怖くないです。というか、全てが素晴らしく見えました。立派な会社だなぁって。でも赤字でしたけどね(笑)。
糸川:どのような経緯でシミックに入ることとなったのですか?
佐野:サガン鳥栖の3年契約を知ってか知らずか、色々な方からお声かけを頂きましてね。そのタイミングでたまたま或る方のご紹介から、中村和男(現 シミック株式会社代表取締役会長兼社長)と食事をしたのです。最初は、ヘルスケアとか医薬業界への興味よりも、急成長しているシミックというビジネスに魅力を感じました。しかし元々銀行員ですし、お手伝いできるとしたら経営企画とか管理部門とか。まぁこの流れは、建設会社に行くって決めてた時に淀屋橋に鰻食いに行った時と同じ感覚でしたね(笑)。
糸川:佐野さんの話を聞くと、色んな人と巡り逢う中でキャリアが出来ていったという感じがしますよね。誰のところに入って、自分で修行していくか。それがキャリアマネジメントだと思っているのですが、それをまさしく実践されてきたんですね。不思議がつかめてきました。
・・・・・後編へ続く
後編では、今後の製薬業界の展望とシミックグループならびにシミックエムピーエスエスの役割等、熱く語っていただいております。
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